【弊幕府の人々】北条義時

弊幕府での幼名は「安寿丸(あんじゅまる)」。
元服後は「北条小四郎義時」となるが、所領として江間を与えられると「江間四郎義時」を名乗る。
江間四郎と呼ばれるようになった後も、主君・源頼朝と父・北条時政は「小四郎」と呼ぶ。
姉・朝日は「四郎」と呼ぶが、言うことを聞かせようとする際は「小四郎」呼びに戻る。

生年・家族

長寛元(1163)年生まれ。
父は北条時政、母は伊東祐親の女。
同母姉は源頼朝室、足利義兼室、同母兄は北条宗時。
同母弟は北条時房(時連)、同母妹は阿波局、稲毛重成室、畠山重忠室。

容姿

母親にそっくりな色白で、黒目がち・奥二重の切長の目を持つ。頬から顎にかけてほっそりしている。
月足らずで生まれたこともあり、男としては非常に小柄で、成人女性よりやや大きい程度。朝日よりわずかに小さい。
一族はだいたい大柄で、義時本人も手足は長いので伸びる素養はあったはずだが、そうはならなかった。

性格

極めて穏やか。血気盛んな坂東武士の中では非常に浮いており、その容姿もあって「たおやめ」扱いで非常にナメられている。
ナメされてもニコニコ微笑んでいなしているが、黙っているだけで恨んでいないとは言っていない。
常に一歩引いて周りを観察しており、人間関係の把握に余念がない。

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