【弊幕府の人々】源頼朝室(平政子)

いわゆる北条政子。
弊幕府での真名は「朝日(あさひ)」。
伊豆時代は「大姫」、鎌倉に移ってからは「御台所」、出家後は「尼御台」と呼ばれる。
のちに朝廷から授かる名前は「平政子(たいらのまさこ)」。

生年・家族

保元2(1157)年生まれ。
父は北条時政、母は伊東祐親の女。
父方の祖父は北条時方、祖母は伴為房の女。
為房の系統はさかのぼると、かの伴善男に行き当たる。
同母弟は北条宗時、北条義時、北条時房(時連)。
同母妹は足利義兼室、阿波局、稲毛重成室、畠山重忠室。
母の妹に三浦義澄室、工藤祐経室、源頼朝前室(八重姫)がいる。

容姿

ぎょろりとした大きな三白眼に、細く小さな顎と真っ赤な唇を持つ。
日焼けしているため肌は浅黒い。背が高く、手足も長い。食べても食べてもなかなか太れず、痩せぎす。
髪もふわふわで、収拾がつかないため垂髪を何重にも縛っている。
現代ならモデル体型のエキゾチックな美女だが……。

母は美貌揃いで知られる伊東家の四姉妹の長女で、時政が一目惚れして何度も通った末にようやく結婚できた高嶺の花だが、その母に似たところは何一つない。
時政からは不細工呼ばわりされて育ったため、容姿の話題になると「どうせ私は不器量だし!?」とコンプレックス丸出しで怒ることもしばしばある。
一方で夫・源頼朝は妻にベタ惚れで、心底真面目に「かわいいなぁ」と思っているが、朝日本人を含め周囲の理解は得られていない。頼朝はもはや異形ですらある朝日の姿に神性を見出している。

性格

幼い頃は明るく好奇心の強い性格だったが、無口で引っ込み思案になった。ひとえに周囲からの容姿いじりが要因である。
頼朝と結婚してからは、頼朝が「かわいい」と言い続けるので絆されて少しずつ生来の明るさを取り戻す。
心根は優しく、特に女子供にはすぐ構いたがる。
困っている人を放っておけないたちで、頼朝から冷遇された御家人たちにもよく声をかけてやり、弱小御家人たちから大きな信頼を得ることになる。
両親にあまり構われていない弟や妹たちをよく構い、母親代わりとして育ててきた。
そのため、義時と時房は朝日を絶対的な存在ととらえている。

頼朝の「浮気癖」については、子さえ生さなければ基本的には黙認している。子さえ生さなければ。
亀前に関しては伊豆時代からのガールフレンドであり、なんなら結婚前からのつながりがあり、子もできないので引き下がっているところがある。
しかし、頼家出産後の付き合いについては見逃すことができず、つわりや産後の鬱症状が非常に重かったこともあり後妻打ちという暴挙に出る。

激しい気質と思われがちだが、案外そうでもない。気は強いが、「芯が一本通っている」程度の強気である。
ただし、娘や息子、弟妹たちが関わると豹変し、神に背くことさえ厭わない。すべては「子供たち」を守る母親としての本能からの行動である。

伊豆時代の北条家は所領の狭さに比して交通至便の地であることや、時政の母方が代々在庁官人であることも手伝い、裕福と言っていい家だが、時政の非常に強い京志向を受けて京文化を積極的に取り入れるため、出費が非常に多く、かなりぎりぎりの自転車操業。
また、大豪族の姫である母がいつまで経っても姫気質で放蕩癖が治らないため、長子である朝日が台所を一手に引き受けている。
炊事はもちろん、野良仕事も手伝い、野草摘みや兎狩りのためには野山にも分け入る。
染織が得意で、伊豆時代の一族の衣服はすべて手ずから用意している。
絹を作るために蚕を飼おうとしたが失敗するなど、生活を良くするためなら何にでもチャレンジする。

京風の教育を受けているため、読み書きは得意。
弟たちから借りた本を読むのを好むが、恋愛物は苦手で読み始めてはいつも脱落している。
後に大江広元に師事し、さまざまな史書を読むようになるが、そちらの方は性に合っており、『貞観政要』も読み込んでいる。
音曲は聴くのこそ好むものの演奏は不得手。できないわけではないが、そんなに上手くはない。

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